外見に反して綺麗に磨かれた階段を上ると、マンションのドアのような扉にも『喫茶・TRACE』と赤いプレートが打ち付けられてあった。
「ここは夜11時でも開いている」
立香の不思議そうな視線に、男は仏頂面で答えるとドアノブを引いた。チリリン、とベルが鳴ると同時に落ち着いた青年の声が響く。
「いらっしゃいませ、タジマさん」
「いつものとココアを1つ」
「承りました」
こんな時間帯に来ないはずであろう立香の姿を見ても、褐色の男の笑みが崩れることはなかった。褐色の肌に白髪、黒のシャツに赤いギャルソンエプロンをした青年は地元の立香も始めて見る人物だ。
店長らしき青年以外、誰もいなかった空間にはジャズだけが静かに流れている。その雰囲気を壊さないように、静かに男の後ろを着いていく。しかし、奥のテーブル席に男と向かい合って座ると、静けさが重くのし掛かる。
目の前には名前も知らない初対面の男、そして初めて入る謎の喫茶店。もし、あの青年も殺し屋だとしたら、生きてここを出られる保証はゼロに近い。スマホは一応持ってはいるもののの、膝の上に置いてあるスクールバッグの中だ。取り出すよりも撃たれる方が早い。