誘われるまで抱かない、というのは言い換えてみれば理性と欲望の戦いである。年を取って欲は少なくなり、理性の力が増したとは言え、抱きたいと思っている女の前だ。とは言え、無理矢理組み敷いては立香の心に傷を残してしまう。ここは大人として、言葉ではっきり誘われるまでは抱かないのが正しいだろう。
己の心に自制という鎖を巻き付けながら、“タジマ”は数分前からあったブラックコーヒーにやっと手を付けた。ほのかに温い苦味が頭から欲を洗い流し、現実に引き戻す。鼻に付く血の臭いが、立香と出会ってからまだそんなに時間が経っていないことを教えてくれた。
「……ね?」
「ん、すまん。物思いに耽ってよく聞こえなかった。もう一度、言ってくれないか」
「ほ、本当に聞こえなかったんですか」
疑心暗鬼にかられている視線が痛い。怒ってはいないと分かってはいたが、“タジマ”は言い訳のように口を早めた。
「ね、と最後だけ聞こえたのだが……もうそろそろ行きますかね、と言ったのか」
「いいえ。その……」
置いていたココアを一口飲んでまた置くと、立香の肩が大きく上がった。
「優しく、抱いてくださいね?」
もう知らん、と欲が理性を投げた。