どうして誰も「忘れることは寂しいことだ」と言ったのに、既に壊れてしまった凡人ではない凡人のことについては言わなかったのだろうか。ムネーモシュネーは自分自身を傷口として定義し、増えていくばかりの悲しみと過ちを背負い続ける凡人を憐れみ、何年掛かってもカウンセリングすると言っていたのに、ノウム・カルデアの人たちは誰もそんなことを未だに言っていない。いや、言えないだけなのかもしれない。言ってしまったら、それは敵であったゲーティアやムネーモシュネーと同じ立場に立つと言うことになって、その瞬間からぐだの味方ではなくなってしまう可能性があるからなのかもしれない。
真にぐだを想っているのなら、外からぐだを見て憐れむのではなく、ぐだと共に一緒の所に立てば良かったのに、と思ってしまう。
ムネーモシュネーはぐだを憐れんで今回の事件を起こしたのではなく、ダ・ヴィンチちゃんの死そのものを無くそうとして起こした。ぐだの本心を察した「つもり」になって、本当は自分の悲しみを無くす為にぐだを巻き込んだだけなのではないのだろうか。