「……酒が入るといかんな」
微笑んだままの但馬が呟いた。
「んー?」
「手が伸びる」
肩を抱かれて唇を塞がれると、強いお酒の味がした。強引に唇を割り開かれ、但馬に応えようとしてもその舌先すら吸い上げられてどうしようもない。濡れた音に誘われるように背筋をぞくぞくとしたものが這い上がってくる。その源、腰のあたりから順に、背筋をくすぐるでもなく押し込むでもなくなぞるように撫で上げてくる手つきがすごくやらしくて、私は但馬の羽織に体を預けるしかなくなってしまった。同時に、ぐ、ぐ、と硬くなった欲を押し付けられて、
「……したい?」
分かりきっていることだけれど、唇が離れた隙に尋ねる。それが布の向こう側でびくりと震えたのが伝わってきて、また背筋が震えた。
「ああ」
表情も身体も、欲を何一つ隠さずに但馬が笑っている。
「主は」
声と指でくすぐるように耳を撫でられる。そのうちに唇と舌も加わってきて、
「俺が差し上げられるのは我が身ひとつのみなれば」
そんなことを宣うのだから、気持ちいいけれど笑ってしまう。
「クリスマスだからプレゼント?」
「然り」
「いつもしてるのに?」
ここまで但馬が酔っ払っているのは、本当に楽しかったということもあるのだろうけれど。
「マスターは、何かクリスマスに欲しいものとかはないのか」
月見の頃。盃片手に少しでも吹雪がやまないかじっと窓の外をみる荊軻が尋ねてきた。
「ほら、子どもらがそろそろそわそわし始める時期だろう?」
今からなら準備できるかもしれない、と言われ、うーんと考えてみたけれど、
「事件が起こらないといいなあ……」
「それは難しいな」
言った端から笑われた。
「あの賑やかな面子にそんなこと頼む方が理にかなわない」
「だよねえ」
そこにはあなたも含まれますが、と心の中で付け加えておく。
「……あの剣士とはうまく行っているのだな」
ひどく優しい口調でそう語りかけられてドキッとする。
「な、何なの急に」
「みんなマスターが可愛くて可愛くて仕方がないのさ。それでいて、ちゃんと主人として立って欲しいなんて思っているから誰も聞きやしない」
そうにんまりと笑って酒を注ぐ荊軻は、とても綺麗だった。
「皆あれは謹言居士な男だと思っていたからな。主人とくっつくだなんて誰も思っちゃいなかった」
まあ悪いやつではなさそうだったが戦いたくてうずうずしていたし、と続けて、
「まさか色恋に応えるとは」
ふふふ、と笑われる。全部お見通しだぞ、と言いだしかねないニヤニヤっぷりがどうにも居心地悪い。もうそろそろ、誰か呼んで部屋に戻した方がいいのかなあと思いながらぬるくなってきたゆず茶をすすれば、その甘さと香りに心底癒された。
ところがどっこい。
「色恋だったら色の話の方が僕は好きだなあ」
ふいっとやってきたアマデウスのおかげで話が変な方向に転がってしまう。
「マスターにはまだ早いんじゃないか?」
「いやいや、僕にはわかるよ。彼に恋していた頃は宝石のような輝きだったけど、今はビロードの艶が出ているからね」
ね?と笑いかけられても!顔が熱いから赤くなっているんだろう、荊軻も、
「へえー。マスターもあの男も隅に置けないねえ」
なんて、一度は助けてくれそうな感じがしたのにすっかりアマデウスの側に回っている。
「で、どうなんだい?為政者なんてのは大体僕に負けず劣らずろくでなしだからね!」
どう、と言われても。あれやこれやが一瞬にして頭を駆け巡ってしまった。なにも、知らなかったのに。キスの仕方から帯の解き方、それからどう触れて触れられるのがいいのか。教えられたときの記憶と感触が勝手に蘇ってきて、
「……ばか」
やっとの事でそれだけ返すと、
「ああダメだ私の方が恥ずかしくなってきた」
「僕は全然聞き足りないな。どんなプレイがお好みか聞かせてもらえればお勧めもできるかもしれないしね」
また好きなことを言ってくれる。
「でも今赤い顔ができるぐらいにはちゃんと教えられているということか。やるなあ」
「アマデウス、下ネタは禁止でしょ……」
にこにこと無邪気に突き進もうとする偉大な作曲家の名前を呼んで咎めるとようやく黙った。分かってくれたのかとちょっとほっとした瞬間にガラス窓に映る人影がもうひとり増えたことに気づく。見慣れた、その体つきは。
「こりゃあいい。当事者が揃ったのだから素敵なひとときになりそうだね」
ならない!ぜんっぜんならない!
私が内心汗びっしょりになっているのを但馬は知ってか知らずか、
「斯様な場所で珍しい面子での酒盛りだな」
「一杯どうだ」
「頂こう」
荊軻から盃をもらうとちゃっかり私と荊軻の間に腰掛けて飲んでいる。
「廊下で呑むのが当世流か、あるいはそういう文化がおありか」
「まあそんなところさ。月の頃は誰しもその姿を待ちわびながら飲むものだろう?そうこうしているうちにマスターが通りがかった」
そう。それが何故アマデウスが猫の目で待ち構える事態になってしまったのか。
「主は甘酒、ではないのか」
但馬がマグの中身を覗き込んできて、ふわりと衣についた香が漂った。先ほどとはまた違う意味でドキドキしてしまうからやめてほしい。
「ゆずの蜂蜜漬けをお湯で割ったやつ」
「僕は今の所手ぶら」
尋ねられる前にアマデウスが申告すると、
「こうして見るとますます調和するね」
先ほどよりもすこし暖かさのある顔で笑った、ような気がした。
「マスターがどんな音色を奏でるのか音楽家としては興味があるところだけど、聞いたら僕なんて死んでしまうだろうからやめとく」
相変わらずのジョークを飛ばしたアマデウスに、
「拙者以外には死の宣告となろうな」
但馬は物騒にも真顔で返す。正しい返しなあたり、結構途中から聞いていたのかもしれない。
「……でも鳴るんだね?」
悪戯っぽく問いを重ねたアマデウスを但馬は一瞬じっと見つめた後、
「左様」
澄ました顔のまま、口の端で微笑んだ。
「マスター、部屋まで送ろう。このままじゃあ顔から出た火で燃え尽きかねないって顔をしてる」
全く荊軻の言う通りだったから、素直に頷く。
「供は不要か」
「猫の皮かぶった送り狼は月が出ないか見張っててくれ。戻りついでに酒も持ってくるから好きなだけ飲んでいいぞ」
「僕は戻るよ。何か鳴らしたくなってきたからね」
こうして、但馬を一人残してマイルームに戻ることになった。まだ、ドキドキする。
「本当に、心底惚れ込んでるんだな。妬けるぞ」
「えっ」
荊軻がニヤリと笑った。
「冗談だよ。男女の仲を欲しているわけではないからな。ただ、それだけ想い想われているとあてられる」
「自重します」
「それはあれの役目だろう。無体を働かれていないか心配だ」
そんな風に見られているのか。私の前ではせいぜいちょっと戦いたい風だけれど、サーヴァントの中だとまた違うのかもしれない。
「……優しいよ?もっとわがままを言ってくれてもいいぐらいに」
「へぇ?物足りないのか?」
庇ってくれたかと思えばずけずけと踏み込んでくる。
「今日の荊軻は意地悪だ」
思わずこぼすとちがうちがう、と苦笑された。でもどう違うかは教えてくれない。
「まあ、そういうことなら冬になったら前後不覚になるまで飲ませてやるさ。そうすればいくらあの男でも化けの皮が剥がれるだろうよ」
「いや、いいよー」
「お互い素直なようで素直じゃないな。世話の焼ける」
そんなことないと思うけど、と言いつつ、まあ、酔っぱらいの言うことだし覚えてないよね、なんてタカを括っていたのだ。
今日、但馬はひたすらみんなに酒を勧められていた。年長者だと言うこともあるかもしれないけれど、去年はこんなことなかったように思う。荊軻はもちろん、ノッブや下総組、普段手合せすることが多いランスロット達円卓組、それからどう言う繋がりかよくわからないマリーちゃんや婦長まで。極めつけはおひらきになったあと、
『メリークリスマス』
但馬と一緒に食堂を出て行く時に、確かに荊軻の口がそう動いたような気がした。
多分、これは据膳なんだと思うけど。恥ずかしいけど。すごく嬉しかった。
優しい声に少しだけ人の上に立つものとしての声音が混ざった。こういうところが本当にずるい。私だって喜ばせてあげたいのに、そんな声で囁かれたらどうにでもされたくなる。
「いつものがスキ、だけど」
「うん?」
但馬が相槌と一緒に歩を進め始めたものだから、ぐらっとバランスを崩しそうになる。まさぐっていた手がすかさず支えてくれたおかげで転ぶことはなかった。
「いつも通りじゃなくてもいい、よ?」
「ほう」
そのままベッドまでゆっくりエスコートされる。私が端に腰掛けると、そのままゆっくり押し倒された。
「私も但馬にあげられるの、この身体ぐらいしかないから」
羽織の前を解く但馬を見上げると相変わらず微笑んでいたけれど、もうただの上機嫌といったものではなくて胸が高鳴る。つい、
「好きにして」
言ってしまった。明日多分きついんだろうことは分かっているけれど。私だって少しぐらい羽目を外したい。
羽織を脱ぎ捨てた但馬が袴を消した。着流しの帯を解こうと手を伸ばしたら捕らえられ、そのままシーツに押し付けられる。
「ならばそのように」
低く唸るようにそう言った但馬の手指が服の下に潜り込んでくるのは時間の問題だった。